吉田宗弘のトリセツ

吉田宗弘のトリセツ

1963年4月生まれ 東京都台東区出身 現在62歳 (2025年7月現在)

妻 1960年生まれ、元損保会社勤務 2025年7月で結婚32周年
子 1996年生まれ 男子 新卒入社した会社で社会人6年目
猫 2009年生まれ 女子 生後すぐ保護された三毛猫16歳

ウォーキング:街を歩きながらのスナップ撮影
ボードゲーム:バックギャモン(2023年1月より日本バックギャモン協会 正会員)

手話:簡単なあいさつ程度
1987年24歳:台東区手話講習会受講(妻と出会う)
1988年25歳~1993年30歳:台東手話サークル参加

Motoharu Sano & The Coyote Band
つまらない大人にはなりたくない(ex-ガラスのジェネレーション)

佐野元春:アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』収録曲『約束の橋』
大瀧詠一:アルバム『NAIAGARA TRIANGLE VOL.2』収録曲『A面で恋をして』
Yellow Magic Orchestra:アルバム『Pubric Pressuure』収録曲『Cosmic Surfin’』
The Beatles:アルバム『Rubber Soul』収録曲『Girl』
宇多田ヒカル:アルバム『DEEP RIVER』収録曲『SAKURAドロップス』
ano:アルバム『猫猫吐吐』収録曲『普変』

好きな写真家と作品

秋山武雄:写真集『「わたしの東京」物語』
橋口譲二:写真集『Couple』
長倉洋海:写真集『マスード 愛しの大地アフガン』
持田昭俊:写真展『東海道新幹線』
Vivian Maier:写真集『Vivian Maier Street Photographer』
Elliot Erwitt:写真集『Personal Exposure』

ライマン・F・ボーム:『オズの魔法使い』
片岡義男:『吹いてゆく風のバラッド』
レイモンド・チャンドラー:『長いお別れ』

江口寿史:『ストップひばりくん』
大友克洋:『アキラ』
士郎正宗:『攻殻機動隊』
蛙男商会:『秘密結社鷹の爪団』

ウルトラマン・シリーズ:『ウルトラセブン』『ウルトラマンティガ』
仮面ライダー・シリーズ:『仮面ライダー電王』
戦隊シリーズ:『電磁戦隊メガレンジャー』

ジュディ・ガーランド:『オズの魔法使い』
桃井かおり:『ちょっとマイウェイ』
薬師丸ひろ子:『メイン・テーマ』
仲間由紀恵:『TRICK』
佐藤健:『仮面ライダー電王』

2024年5月、勤めていた美容室内の写真スタジオが閉店、退職。
写真関連の仕事を30年余り続けてきました。これを機会に写真にプラスしてデザインの世界へチャレンジします!

1973年、小学校4年生(10歳)で学校のクラブ活動スタート!
選んだのは「カメラ・クラブ」。
初めて手にしたマイ・カメラはオリンパスEE-2、ハーフサイズのコンパクトカメラを中古店で買いました。
カメラ・クラブ在籍は1年間だけでしたが、写真撮影はずっと続けて、この時から数えると写歴51年‼

1980年、高校2年生(17歳)の授業で物理学に出会い、理科教師を目指して大学は理学部物理学科に進みましたが、3年次末で家業を手伝うため中途退学。
20歳代は父親が経営する会社で工場プラント向け脱臭装置の設計、販売、施工の業務に従事。

1993年、30歳で結婚を機に、あらためて本来自分がやりたいこととして写真関連の仕事を選び、当時、流行していた写真現像スピード仕上げのDPE店に応募。店長候補として採用されました。
まだフイルム時代の写真屋さんで初めての店頭接客を体験しながら色々な写真サービスを習得していきます。

  • 写ルンです
  • パノラマ切り替え
  • APSフイルム
  • ポラロイドの証明写真

店内で写真を現像プリントするミニラボ機。フィルムの画像を直接見ながらオペレーターが色合いと濃度調整するネガ判定とういう技術習得には週5日従事しながら3か月を要しました。

写真の新製品が登場する毎に作業現場の技術導入も更新され続け、興味の赴くままに吸収しスピード感が加速します。

後年、モニター付きミニラボ機が登場するとフィルム画像はネガポジ反転されて映し出され、初心者でもすぐに操作できる作業となりました。

デジタルカメラの登場で写真業界は更なる変革期を迎えることになりす。

デジタル画像への理解が求められ、画素数や解像度、色空間等をはじめ基礎知識を学習しながらデジタル画像の加工修正技術も必要となりました。

この頃、自分自身でもデジタルカメラを扱いながら知識や技術を習得し、さらには新入社員向けの研修を受け持つ立場となります。

1999年、36歳。担当DPE店に携帯電話の販売業務が拡充されます。当時、ドコモ、日本移動体通信(IDO~KDDI~au)、ツーカー(J-フォン~ボーダフォン~ソフトバンク)、PHS等、全てのキャリアの新規、機種変更の手続きをスタッフに教えるためにも、自分自身の初めての携帯電話をドコモのiモードでつくります。
時を同じくして初めてのデジタルカメラ、東芝アレグレットPDRーM4(200万画素機)当時8万円!も入手。
フィルム写真やデジタルカメラの画像から携帯電話の待受け画面サービスも提供していました。
一方、DPE業としての利益の源泉であったフィルム現像代が激減し、業態変換が迫られます。

2005年、42歳。デジタル一眼レフカメラが一般的に普及した頃、子供写真館がはやりはじめます。当時勤めていた会社もスタジオ撮影の部門を立ち上げ、ショッピングモールに出店を予定し始めたころ、私自身はそれまでのDPE店舗の直営店マネージャーやフランチャイズオーナー店のスーパーバイザーを経て、写真スタジオの撮影業務に異動します。七五三や成人式の振袖、卒業式の袴姿など家族写真から証明写真、オーディション用ポートレート、商品撮影もこなしていました。

2006年、43歳。更に翌年、子会社としてブライダル事業を始めるにあたり、直属の上司と共に出向し、ブライダル写真の撮影もスタートします。

小さな独立したチャペルを持つ企業を吸収し、実際の結婚式や提携先のレストランでの披露宴のスナップ撮影等を行っていきます。

私自身は和装婚礼衣装でのスタジオ写真を主に担当していました。そのことから日本庭園や大手結婚式場での婚礼スナップ撮影や神社挙式の撮影を請け負っていきます。

撮影したスタジオ写真は主に写真台紙の仕上げ用に加工修正し、現像所にプリントを発注、手作業で台紙に張り込んで仕上げたり、婚礼スナップ写真をデジタル現像して婚礼アルバムのレイアウト・データを作り製本業者へ発注し仕上がり検品等をしていました。

親会社の移転に伴い、本社直営写真スタジオは閉鎖。代替えのスタジオとして、新宿西口にあるデパート内の美容室に写真スタジオを開店する運びとなり、専属店長として担当します。
美容室直結の写真スタジオで和装着物店との提携で成人式振袖姿の記念写真を主として七五三、お宮参り、卒業袴姿、証明写真等を撮影していました。
残念ながら開店後一年三か月で撤退が決まり、スタジオ業務を写真専業の会社へ引き継ぐため、その会社の役員の方に面会したところ、スタジオ業務を引き継ぐにあたり人員も必要なため、私本人をそのまま引き抜きたいとのことを受け、転職することになります。

2014年、51歳。転職先の写真専業の会社は都内及び近県のホテルに写真室を構える老舗の写真撮影会社でした。
あらためてその会社が培ってきた写真撮影(特に和装婚礼写真)の技術を定期的に研修を受講し、極意をさらに習得してきました。
後年、異動に際しホテル内写真室の副店長を務めてまいりました。スタジオ写真以外にも結婚式及び披露宴を通しての婚礼スナップ写真撮影も経験し、婚礼写真ならではの加工修正技術も習得しました。

2019年、56歳。当初、転職時に担当していた新宿西口の美容室内写真スタジオが4年9か月で撤退することになり、美容室本社の意向で写真スタジオ継続が決まり、あらためて美容室直属の写真スタジオで再スタートを切ります。翌年2020年、新型コロナ禍での営業はままならず、成人式振袖姿や卒業袴姿、和洋婚礼等の記念写真もその後の撮影需要の回復は思うように見込まれず、2024年4月末日、写真スタジオのみ閉店となり、翌5月、雇用契約満了をもって解雇となりました。

DPE店、店長マネージャーからスタートして営業写真のフォトグラファーまでの経験を踏まえた上で顧みると、写真撮影までのデータ素材を提供する段階から、さらにその先にある素材を仕立て上げて広告や販売促進につながる仕事に興味を持ち、自身の能力のオプションとして貢献できる分野を開拓したいと考えています。